教育行政と市民を繋ぐのは情報のキュレーションとそのベーステクノロジー

カッコつけた題名になってしまったが。

 

大川小のことをずっと考えていたら、

ぼんやり題名のようなことを思った。

それが徐々に確信に近づいてきた。

 

情報不足で、官民に亀裂が入っているように見える。

特に第三者の立場の人々。

 

ブログってのは00年代に現れた

革新的なキュレーションのベースなのだが、

もう一歩進んだ論理の登場が待たれる。

 

というか、国はそういうの専用の人を雇って

教育行政の本当のまとめサイトを作るチームなんかを

構築していいと思うがどうだろうか。

大川小の件と、教員に対する市民に蓄積したヘイト

大川小裁判のネットのリアクションをずっと見ている。

双方ともにカネ観を主軸に論理構築する人多し。

心情的にカネは思うことがあるのだろう。

それに準ずるもので、公務員に対する憎しみからの人も多い。

 

教員になるとして、これからどうすればいいか。

ここでカネ(給料)は難しいから置いといて、

教員が市民に与えるヘイトを減らすことだろう。

一昔前では、市民にヘイトを溜めさせるような

教員の行動が是とされていた。

 

当時はどこの業界もそうだっただろうが。

派閥が強く、協力姿勢が取りにくかった。

 

現在、昔のようなヘイトを与える構造は縮小してきている。

だが残っているところは多いはず。部活とか特に。

 

教員のヘイトを溜めさせる行動は社会的に非難されるべき。

 

また資本主義には官民の間に入り込み、

対立を煽って金儲けするやり方もそう。

ビジネス上損失となるよう社会が非難するべき。

学校・先生を断罪!!の続き

「学校・先生を断罪!!」は、

よくある「自治体や教委」を「学校や教員」と

言ってしまう類のものかと思っていた。

原告の口調を見ていると、どうもちがうようだ。

 

市の「控訴」に市議会も了承 大川小津波訴訟(テレビ朝日系(ANN)) - Yahoo!ニュース

>「(子どもを)守ることのできなかった先生たちの名誉の方が大事なんだ。

>これがきょう、はっきりしました。議員たちには失望しました」

 

かなり引っかかる。

なぜ「先生」なのか?

最近この件を調べていて疲弊しているが

もう少し力を注ぎたい。

 

<大川小訴訟>宮城知事も控訴表明 | 河北新報オンラインニュース

>村井知事は定例記者会見で、

>「判決では津波予見可能性など主張が受け入れられなかった部分がある。

>その場にいた教員を一方的に断罪するのは納得できない」と述べた。

 

断罪というワードは横断幕を意識してだろうか?

 

遺族を扇動している人物はいないだろうか?

誰も得しないような発言が多いように思う。

不信を抱えた人は最悪教師物語を求めるようになり、その構築に情報の空白が狙われる

教育行政の大きな問題は、事後で情報が錯綜すること。

人の間に色んな噂が飛び交う。

学校や教委、大学やメディアや個人とかいろんなとこが情報を小出しにする。

困ったことにそれらが一定のエネルギーを持ち人に影響する。

教育は皆が考えるものだから。

そして隙間に恣意が流れ込み教育不信が増幅する。

 

例えば大川小学校の件でネットをウォッチすると、

学校否定派の意識は隠蔽以外に、

14:46~15:37頃(地震から津波到達)の教職員の行動によく向けられている。

 

1次ソースが曖昧で恣意的な方向に流れやすい箇所。

ここでの感情的学校否定派の典型の教師像は

① ぼーっとしていた

② 権力闘争をはじめた

③ 子供は山に向かおうと泣いていた

というもの。

いずれも元となる別の証言等あり。

それが膨らんでこうなってしまうようだ。

メモを処分した教委による隠蔽疑惑の相乗効果もある。

 

例:

① 当時津波を心配する人が少なかった

→ 教師がぼーっとしていた

→ 何もせず談笑していた

 

② 言い争いを聞いたという証言

→ 権力闘争をはじめた

→ 一部は言うことを聞かずに逃げた、それが生き残りの数人

 

③ 子供は山に向かおうと泣いていた

→ 羽交い締めで引きずり下ろした

 

こういうふうに噂が膨らんでいく傾向がある。

学校不信は、教師のミスを期待する方向にまで

人を変えてしまうように思う。

これは人の不幸を願うスキームに似ている。

 

不信を抱えた人の無意識は、悪の教師物語を構築しようとする。

そこで、情報の空白部分、錯綜部分が狙われる。

人は空白部分に自分の物語を立ててしまう。

 

教育行政は情報の空白を作ってはならない。

情報の空白は社会通念上や行政上、

OKというか、イーブン、しかたないみたいに扱われる。

しかし不信を抱え込みやすい教育行政ではそうならない。

マイナスになるのだ。

 

一応報告書はあるが、

http://www.e-riss.co.jp/oic/_src/sc541/8E968EC08FEE95F182C682E882DC82C682DF.pdf

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo5/012/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2014/08/07/1350542_01.pdf

きちんとわかりやすく、簡潔に、空白を作らないように、

アクセスしやすい形で、統合的に、いつでも参照できるような

情報を提示する仕組みが必要。

それが不信解決の手がかりになるはず。

ウィキペディア文科省公式版みたいなものだろうか。

ばらばらになってしまった意識を

社会にとって有意義な方へ向けること。

大川小学校の件での学校否定派のリアクション傾向

大川小学校の悲劇の焦点は、「山に向かわなかった理由。」

※追記:裁判の争点は「津波の予見性」

ここに全てが掛かってるのだが、

現段階の結論では不明。

(山側は崩落などの危険性、川津波の危険性があった。)

 

ネットの議論ではこの焦点を留保できず、

結論を急ぐ傾向がある。

教育行政への不信でここに粗い理由付けをする傾向あり。

 日常的不満感情の反映が多い。

 

この層は結果論を読み替える人が多い。

結果論の箇所では、怒りのドライブによって

無意識による理論が構築がされてしまいやすい。

リアルタイム視点で状況を想定すること、

これには思考負荷が掛かる。

現在視点に流れやすい。

 

学校不信は過去の教育行政の失敗から来るものが多い。

特に「隠蔽」は絶対やってはいけない。

メモを捨てた件があるが、

これは致命的なのだろう。

現場感覚では気軽にやってしまいやすい性質のものか。

 

県・教委ではなく「学校・教師を断罪!!」なのは、まだ不明。

今後の説明が欲しい。

過去の具体的学校体験から来るところもありそう。

教委の失敗などは、学校への怒りへと無意識にシフトしやすい。

教育行政=学校・教師と繋ぐ人は意外と多い。

2016教員採用試験 神奈川 一次合格二次辞退

夜行バスで高校英語の1次を受けに行った。

試験は独特の雰囲気があり、皆先生になりたい人か~と印象深かった。

夏なのでとにかく暑い。

日傘が欲しかった。

 

自分の筆記力的に割りと余裕だった。

というか正直、英語教師はもっと頑張らないとダメだと思う。

倍率にも寄るが、英語の教採だとTOEIC600中後半あたりがボーダーだろう。

高校英語の授業をやっていくにはそれだときついはず。

文科省発表で学校教員の資格取得統計が出ている。

TOEIC730、準1取得率が高校教員で55%あたり。

(平均TOEIC560とか620とかいうのはデマ)

 

1次は合格。2次は今年は辞退。

仮に2次合格でも仕事等の調整が難しいため。

来年はちゃんと受ける予定。

 

横浜を色々散策したが、すごく好感の持てる街だ。

東京より1,2回り全体的にスペースに余裕があるのがいい。

海が近いのも非常に良い。

言葉がネイティブ関東弁っていう感じ。

やや距離を感じるがそこまで問題ない。

車通勤が原則認められていないらしいことだけが引っかかる。

 

川崎という市も散策したいのだが、うまく時間がとれない。

特にいじめ事件のあった場所を見てみたい。

「学校・先生を断罪!!」に賛同する人の傾向

「学校・先生を断罪!!」に賛同する人の考えが気になる。

時間を掛けて調べてみた。

一言で、

「教育行政に対する根源的な怒り」が原因となっているケースが多い。

そしてそれは多くの場合、

教育行政の「隠蔽の記憶」から発生しているようだ。

この件でもメモの廃棄等があった。これが隠蔽かは解らないが。

 

人というのは、巨悪との戦いというスキームに流れていってしまう。

教育関係者は、隠蔽は問題外として

隠蔽と誤解されるような行動に注意しなければならない。 

 

隠蔽は行政と市民を引き裂いてしまうのかもしれない。

教育関係者が考えている以上に、隠蔽は教育行政の信頼を失わせる。