データ、エビデンスとか

ネット上の教育論などをよく見ている。

なぜ彼らは語るか?

彼らは自己愛やルサンチマンをベースに教育を語っている。

私もそっちに陥ることが多い。

人間は自己愛を語りたいのだろう。

で、直接的に自己愛を語るとグロい。

そこで教育というテーマが使用される。

 

社会、教育の語りにバレない程度の自己愛を乗せていくことで、(バレているが)

一応の社会的生産性を確保しようとする。

良い悪いはともかく、教育はそういう風に運用されてきたはず。

 

井戸端教育論は世論形成に一定の影響力を与えている。

井戸端教育論を意味のあるものに変える、自己愛の渦を乗り越えたものにすることは

日本の教育課題の1つかと思う。

ここで重要になるのはデータやエビデンスのアベイラビリティではないのかなと思ったりする。