熱中症の記事 1992年08月02日(朝日)
1992年08月02日(朝日)
宮崎市の県総合運動公園陸上競技場で1日開かれた全国高校総合体育大会の総合開会式で、選手と公開演技の地元生徒ら約120人が日射病などで倒れ、救護本部の手当てを受けた。この日、同市の最高気温は32.2度で晴天。事前の対策のせいか、例年並みの数という。
開会式には約1万2000人が参加。救護本部によると、倒れたのは、式が始まった午後2時から約3時間、日差しが照りつける競技場東側スタンドに陣取ったコーラス、吹奏楽団員の地元高校生に多かった。東北や北海道など北国の選手はほとんどいなかった。
25日の予行演習で約7000人中約250人がダウンしたため、救護本部は救護所を4カ所設置し、医師5人、看護婦10人を含む117人と救急車3台を待機させていた。
救護本部は「予行演習で倒れた生徒は、今回はたっぷり水分を取ってくるなどの対策を立てていたようだ」といい、病院に運ばれる「重症患者」は1人もいなかった。
静岡市で開かれた昨年の開会式では150人が倒れた。
日本で熱中症が軽視されていた最後の時代だろうか。
記事の締めくくり方も時代を感じる。
倒れるのは普通みたいな風潮があったし、美徳みたいに扱う風潮もあったように思う。
この時代は紫外線の危険性も周知されていなかったし、
おそらく頭部外傷の危険性すら知らない人が沢山いた。
90年代後半だが、学校の朝の集会で「貧血で倒れてくる人がいたら避けずに周りが受け止めるように」という指導があった。
実際集会で倒れて身体を強打していたケースをいくらか見た。
昭和中期の学校世代の人から、当時は人が倒れる音がしょっちゅう響いていたみたいなことも聞いたことがある。