黒染め強要の件について③ 教育論が本質から外れていく理由

blogos.com

www.buzzfeed.com

 
トンデモになるかもと前置きした上で。


この件の本質は、組織論と司法の問題。

しかしなぜネットの反応はそこから離れて

「巨大権力に立ち向かう女子生徒の小さな物語」に向かうか。


人は多かれ少なかれ管理社会へのヘイトを溜めている。

その中でも、校則というのは、人が先進社会に産まれて

6歳頃に遭遇する最初の痛烈な管理の枠組みだ。


この中で人は管理社会へのヘイトを鬱積させていくのだろう。

で、これが長期で人格にどう影響するかはあまり語られない。


多分、鬱積した被管理ヘイトは何十年単位、

人によっては一生レベルで残存し、

無意識のヘイトに変化し、

無意識のヘイトは権力への復讐を求めるようになる。

だが復讐は管理の枠組みで禁止され続ける。


復讐禁止なら、自分が権力を手にするか、

復讐の物語を手にするしかない。

大丈夫か。トンデモ過ぎないか。

いや、もう少し続けよう。


ネットの反応が「巨大権力に立ち向かう女子生徒の小さな物語」

に向かうのは、無意識が権力への復讐を志向し

物語を求めるからでないか。


ただし、ヘイトの昇華としての物語化に出口は無い。

現状起こったことは司法の場で語るしかないし、

改善には組織論を詰めていくしかない。


残念ながら、教育は誰でも語れるという性質ゆえに

こうしたヘイト解消物語の希求がなだれ込むことに歯止めが効かない。

この希求はまた都合の悪いことに資本主義とマッチする。


これと現代的なメディアミックスが資本主義上で起こったのが80年代前後、

結果どうなったか。メディアが退いた。

奇妙な「資本主義の良心」が働いたか?

なぜだろう。その先に幸福が無かったと見たか。

 

時は2017年、日本人は豊かになると共に、

個人が発信する時代になった。

まずヘイトと物語の希求は再度、個人レベルで顕出するのだろう。

それに加え、ネット系の新興メディアが

カネを作るためこうした話題に食いつく傾向有り。

 てっとりばやいのだろう。

 

同時に、豊かさ=社会の余力の方面から、

本当に仕事をしているオトナ達が、

組織論と司法の処理を少しずつ前進させていくだろうとは思うが。