学習指導要領と授業時間を改訂するなら

学校教育法施行規則別表第2(第73条関係)

区分 第1学年 第2学年 第3学年
各教科の 授業時数 国語 140 140 105
社会 105 105 140
数学 140 105 140
理科 105 140 140
音楽 45 35 35
美術 45 35 35
保健体育 105 105 105
技術・家庭 70 70 35
外国語 140 140 140
道徳の授業時数 35 35 35
総合的な学習の時間の授業時数 50 70 70
特別活動の授業時数 35 35 35
総授業時数 1015 1015 1015

 出典:中学校学習指導要領:文部科学省

根拠の薄いただの経験則的な空想なのだが。

個人的に、情報処理、法、経済、生活の知識等、このあたりを

学校教育の責任で教えるべきではないのかなと思っている。

 

代わりにどこを削減するか。

国語の古典、社会理科の細かい内容、数学の8割ぐらいは

削減してしまっていいのではないか。

センター試験も内容減らして

コツコツやってりゃ9.5割取れて地元の国立大に進学できますみたいな試験にする。

あくまでマス的な話であって、当然できる層は別。

 

これをやるとPISA的なワールドスタンダードの教育から外れてまずいのかな。

外国はスタンダード外のカリキュラムどうしてるんだろ。

 

現代文と英語の伸び率は、才能依存度が高いものだと思っている。

数学もそう。コンピュータも。

このあたり、才能判定の高度化とカリキュラムの弾力化に踏み込むべきじゃないかな。

現状、(中学)高校受験が才能判定なのだが

カリキュラム=指導要領に弾力性が乏しいので意味薄い。

才能が偏ってる生徒や、才能無い生徒は現行の教育課程とか教育慣習では苦しい。

 

日本人のほとんどは英数ちんぷんかんぷんで高校卒業している。

これを多大なる機会損失と捉えるべきだが。

公務員は機会損失という意識がない気がする。

損失出しても金貰えるからな彼ら。民間のサラリーマンもだが。

むしろ仕事サボれる機会だったりするし。

 

音楽美術、よく見れば授業時間数多く貰ってるような気もする。

なぜ音楽と美術なんだろうか。

要は歴史と学術的なパワーバランスなんだろうけどな。

解体しにくい領域だと感じる。