神戸高塚高校校門圧死事件について思うこと

神戸高塚高校校門圧死事件 - Wikipedia

 

遅刻ギリギリで駆け込んだ生徒の頭部を、

スライド式の校門で誤って挟んだという最悪の事件。

 

学校側の責任を認め県は賠償金を支払っている。

 

また門扉を締めた教員は懲戒免職、

業務上過失致死で刑事処分を受けている。

 

世間的には管理教育がどうとか、そういう論点が出現した。

 

事故が起きた以上社会的責任は免れないが、

個人的に、本質は別のところにあると考えている。

 

 

1.人は動体のエネルギーを過小評価する

人は動体のエネルギーを錯覚するのだ。

特に重量物が動く時のエネルギー量を過小計算する傾向がある。

 

また自重に関しても錯覚が起きやすい。

自重の移動で発生するエネルギー量は非常に大きい。

椅子引き事故なんかまさにこの類。

 

そういう意味で、可動な重量物の設計、配置、運用保守について、

社会は細心の注意を払う必要がある。

 

2.人は画的に映えることを優先し思考停止する

画として映えることに人は思考停止する傾向がある。

これに1の重量物の移動エネルギー理論が加わると

思わぬ事故に繋がりやすい。

 

遊園地とか、体操やダンス、水泳の飛び込みとか色々ある。

映えることに思考停止し、

社会的対応が後手に回っている傾向があるように思う。

 

映えるものに対し、人は細かいことを不問に付す。

現場にいる大人はリスクを冷静に分析しなければならない。

 

オードリー春日(芸人)が調子に乗って椅子を壊した映像があるが、

これは事後対応の雰囲気を含めて、典型だろうな。

 

必要なのは、場の空気を切り裂いて冷徹に対応する大人の勇気だろう。

 

3.人は頭を頑丈だと錯覚する

この事故は頭から門扉へ突っ込んだことで事故が起こっている。

 

頭から突っ込むという行動は非合理な危険行為だが、

人はこの行動をやってしまう。

 

プリセットされている本能、原始的な脳の認知というのは、

身体性に対する意識についてかなり不完全であるようだ。

 

頭部への衝撃が危険であることは、

周りの大人がインプットさせる必要がある。

人の体で比較的丈夫な箇所は、背中ぐらいではないか。

 

このテーマは以前記事にした。

頭部外傷は教育が必要 - 教育と思索

 

似た話に、尻を丈夫だと錯覚することも書いた。

尻の事故と教育について - 教育と思索