日大アメフト事件について④ パワハラやいじめの本質
今回の事例を元に問題の本質を考えていた。
自分の中で思索が深まってきた。
前回で、上位に立つ快感と制御について考えた。
人より上位に立つと、快感で感覚が麻痺してくる。
よほど訓練を受けてもこの制御は効かない。
快感に負けてくる。
ベタに権力の暴走だ。
いくつか構図が見える。
①手段が快感目的化する
人を使用するのは目的があるからだ。
試合にかつ、業務をこなす等。
パワハラだと、出発点は業務目的なのだろうが、
しばらくすると人を使う快感で感覚が麻痺するのだろう。
ここからいじめの領域。
ちと語義がまだ未確定だが。
この麻痺状態になると、人というのは様々なバグが起こる。
②快感の習慣化、生活化をめざす傾向
本質がもう一点、快感は習慣化を目指す傾向がある。
いじめの快感を持続したい、となる。
なぜか?
いじめによって麻痺しながら得られる快感は、
役割としては、生活の中の精神バランサーとして期待される。
いじめ自体が精神安定剤のような役割になる。
複数ある生活の軸の1本というか。
バランサーということは固定性を目指すものである。
本質のキーワードが得られた。
①快感目的化
②習慣化、生活化
③精神安定剤化
事件化したケースは、こうした視点で
検証を積み上げるべきなのではないか。
社会はどうもマウンティングの快感という議題を
避けているようにも思える。
教育としていじめやパワハラ、セクハラの監督を考えたとき、
①快感目的なのか、②生活化をめざしていないか、
③精神安定剤化していないか、
を十分に注視する必要がある。