日大アメフト事件について④ パワハラやいじめの本質

日大アメフト部の事件 教育とスポーツについて

日大アメフト事件について②

日大アメフト事件について③ シゴキと快感

 

今回の事例を元に問題の本質を考えていた。

自分の中で思索が深まってきた。

 

前回で、上位に立つ快感と制御について考えた。

人より上位に立つと、快感で感覚が麻痺してくる。

よほど訓練を受けてもこの制御は効かない。

快感に負けてくる。

ベタに権力の暴走だ。

 

いくつか構図が見える。

 

①手段が快感目的化する

 

人を使用するのは目的があるからだ。

試合にかつ、業務をこなす等。

パワハラだと、出発点は業務目的なのだろうが、

しばらくすると人を使う快感で感覚が麻痺するのだろう。

ここからいじめの領域。

ちと語義がまだ未確定だが。

この麻痺状態になると、人というのは様々なバグが起こる。

 

 

②快感の習慣化、生活化をめざす傾向

 

本質がもう一点、快感は習慣化を目指す傾向がある。

いじめの快感を持続したい、となる。

なぜか?

いじめによって麻痺しながら得られる快感は、

役割としては、生活の中の精神バランサーとして期待される。

いじめ自体が精神安定剤のような役割になる。

複数ある生活の軸の1本というか。

バランサーということは固定性を目指すものである。

 

 

本質のキーワードが得られた。

①快感目的化

②習慣化、生活化

精神安定剤

 

事件化したケースは、こうした視点で

検証を積み上げるべきなのではないか。

社会はどうもマウンティングの快感という議題を

避けているようにも思える。

 

 

教育としていじめやパワハラ、セクハラの監督を考えたとき、 

①快感目的なのか、②生活化をめざしていないか、

精神安定剤化していないか、

を十分に注視する必要がある。