缶蹴りとイジメ

家の近くで子供が遊んでいた。

高鬼やろうとか言ってて、

そんなのもあったなと。

 

あれって永パ入ってゲーム成立しないのでは、と思ったが

ググると無敵時間はカウント制とのこと。

ああ、そうだった。

 

今の子供がやるのかは解らないが、

缶蹴りについて。

 

全員を捕獲とかまず無理。

複数攻撃とか、

微妙な判定でも缶を蹴り飛ばすとか、

とにかく蹴る側が有利。

 

鬼が缶を離れて人を探しに行くのもリスクが大きい。

鬼が複数いればまだマシなのだが。

うちの地域では鬼は基本的に1人だった。 

 

鬼にとっては無理ゲー。

 

缶蹴りの本質は、イジメ遊びだ。

 

最初のジャンケンでの鬼決めで

イジメの空気が流れ始める。

 

いわゆる陰キャが鬼になることを期待されていて、

リンチが始まるあの感覚を共有し出す。

  

蹴る側は徒党を組んでいるので、

自分たちに有利なように空気を持っていく。

その中でルールを細かく破る。

数の論理で無理筋を通す。 

 

鬼を追い詰めて得られる連帯感、

他では代替できない快感だ。

 

最も、缶蹴りはこうなるのを皆解っていたから

遊びとしては人気が無かった。

 

誰かがやろうと言い出して、

流れでそうなっていくあの不穏な空気は忘れられない。

 

快感を得たい一方で、倫理観もあった。

リンチを止める者が出てくる。

あの弱者救済感覚は、

社会システムに通じるところがある。

 

人間にはそういう共栄精神が根底にあるのだろう。

 

ただ個人差が大きく、

徹底的にイジメ抜く主義の者も結構いた。

 

子供の世界はえげつない。

缶蹴りで泣いた友達を何人も見た。

 

あの弱者救済意識の個人差はなんなんだろう。

家の裕福さとかと相関あるのか。

 

センター試験の国語で2009年に缶蹴りの内容が出題されたが、

的外れだなと思った。

 

管理社会側の鬼に蹴りをいれる、という要旨。

 

真逆。

 

この栗原彬という作者、やったことあるのか。

どう考えても、蹴る側=管理社会側だ。

 

管理社会に迷い込んだ弱者(鬼)を

集団で蹴り飛ばす。

 

弱者をボコってリンチを楽しむ。

缶蹴りはそういう遊び。

 

まあ缶蹴りもルールで全く違う遊びに変わるんだけど。

鬼の数を増やすとか、

3回缶を蹴ったら鬼交代とか。

 

社会も同じ。

ルールというのは大切なのだな。