フェミと教育
ろくでなし子の意見。
彼女は常に別視点だから
話がややこしくなるのだが、
解りやすくなったりもする。
ネトフェミってのは
要は、「男へのトラウマ」のリアクションから
話が始まっている。
つまり思想の内的なドライブは
「男性性の否定」に軸を持つ。
個人的なトラウマに抗うエネルギーが出発点だ。
そこに軸があるから、
学問なり、フェミ著名人なり、歴史なりで
基礎理論を設定し、権威付けしても
あくまでも後付けなのだ。
コンセンサスを伴った基礎論理は
実質持たない。
個人的なトラウマの記憶と
動物的な反射現象が出発点だから。
一人一派という謎理論はこうして出来上がる。
実際の現場ではどうか。
ツイフェミは個々のフィールドで
空気感を合わせていく。
現場ごとのゲリラ戦が主体だ。
いわば、集合分離を繰り返して
その場ルールで適宜コンセンサス形成している。
再度確認するが、共通軸は基礎理論ではなく
トラウマへのリアクションだ。
さて、この内部構造は迷路になっている。
①トラウマからのリアクションが衝動のドライブを生む
②ネットで騒いで衝動のガス抜き
以下ループ。
出口は1つ。
「異性に愛される」という
成功体験の積み重ねにだけに出口がある。
だが、①と②はどんどん異性を遠ざける。
迷路の奥にはまり、
出口の光が霞んでいく。
ここから教育について。
彼ら彼女らは
ゾンビ的に布教活動をやる。
誘い込んだ成功体験が
トラウマの傷を舐めるから。
この構造に子供を近づけるべきでない。
怖い話だが、
この迷路に子供を引きずりこんでも
犯罪にならない。
毒親ってのも似ていて、
このゾンビスキームで
子供を道連れにすることを試みる。
それが彼ら彼女らの癒やしだから。
ツイフェミも毒親も、
遠い過去の苦しい記憶を
誰かに追体験してほしいのだ。
我々はゾンビ化した
ツイフェミ達から
次の世代を守らなければならない。
持続可能な社会のために。
それは我々が大人として
愛をどれだけ語れるか、
という文学的な問題だろう。
性愛を含めて、
私はどれだけ社会に向けて
愛を語ることができるか。