フェミと教育

ironna.jp

 

ろくでなし子の意見。

彼女は常に別視点だから

話がややこしくなるのだが、

解りやすくなったりもする。

 

ネトフェミってのは

要は、「男へのトラウマ」のリアクションから

話が始まっている。

 

つまり思想の内的なドライブは

「男性性の否定」に軸を持つ。

 

個人的なトラウマに抗うエネルギーが出発点だ。 

 

そこに軸があるから、

学問なり、フェミ著名人なり、歴史なりで

基礎理論を設定し、権威付けしても

あくまでも後付けなのだ。 

 

コンセンサスを伴った基礎論理は

実質持たない。

 

個人的なトラウマの記憶と

動物的な反射現象が出発点だから。

 

一人一派という謎理論はこうして出来上がる。

 

実際の現場ではどうか。

 

ツイフェミは個々のフィールドで

空気感を合わせていく。

現場ごとのゲリラ戦が主体だ。

 

いわば、集合分離を繰り返して

その場ルールで適宜コンセンサス形成している。

 

再度確認するが、共通軸は基礎理論ではなく

トラウマへのリアクションだ。

 

 

さて、この内部構造は迷路になっている。

 

①トラウマからのリアクションが衝動のドライブを生む

②ネットで騒いで衝動のガス抜き

以下ループ。

  

出口は1つ。

「異性に愛される」という

成功体験の積み重ねにだけに出口がある。

 

だが、①と②はどんどん異性を遠ざける。

迷路の奥にはまり、

出口の光が霞んでいく。

 

ここから教育について。

 

彼ら彼女らは

ゾンビ的に布教活動をやる。

誘い込んだ成功体験が

トラウマの傷を舐めるから。

 

この構造に子供を近づけるべきでない。

怖い話だが、

この迷路に子供を引きずりこんでも

犯罪にならない。

 

毒親ってのも似ていて、

このゾンビスキームで

子供を道連れにすることを試みる。

それが彼ら彼女らの癒やしだから。

 

ツイフェミも毒親も、

遠い過去の苦しい記憶を

誰かに追体験してほしいのだ。

 

我々はゾンビ化した

ツイフェミ達から

次の世代を守らなければならない。

持続可能な社会のために。

 

それは我々が大人として

愛をどれだけ語れるか、

という文学的な問題だろう。

 

性愛を含めて、

私はどれだけ社会に向けて

愛を語ることができるか。