教採

2つ教採の1次を受けてきた。

感想、意外とレベルが低い。特に一般教養と教職教養。

倍率5倍までならテキトーな勉強で乗りきれるといった感じ。

それ以上は1ヶ月以上の勉強を固めて行う必要ありという印象。

 

専門は英語。

現在TOEIC900手前あるが、英語教員の平均はこれより大分低い。

教採受験生は若い層が多いが英語力は微妙っぽい。

なので問題ないのだが、形式慣れに問題あり。

自治体ごとに作問しているので専用対策みたいな概念が成り立つ世界。

地域にある予備校に強みがでる。こういうの嫌い。

 

学校教員の学力ポテンシャルは生徒を圧倒するほど高くない。

この前提はあまり共有されていないのではないか。

 

リスニング、これはちょっと腹が立った。

形式が特殊で初見では解けない。

共同出版から出てる過去問にはCDが付属していないし、

スクリプトも載っていなかったのでどうしても初見回答になってしまう。

過去問が公開されていない。

またされていてもリスニングの音源やスクリプトがあるのかどうか

ちょっと良くわからない。

現地まで行かないとダメ、または判断つかないみたいなケースが多い。

結果予備校に在籍してるかどうかで差がつきがち。

  

これで配点大きそうなリスニングの大問1つ丸々落とした。

ここの自治体は英語の配点が大きいので落としたかも。

もう1つは例年のボーダーっぽいので受かってると思う。

 

一般教養と教職教養は問題なし。

これまでの貯金、単位取るための勉強、普段の興味の範囲での勉強、

直前の1日2日の勉強だけでどうにかなったっぽい。正直無勉に近い。

当然手抜きすぎなので知識の抜けが多いが、

これでボーダーより1,2周り以上取れているようだ。

うーん、なんだか。

 

実は教採をどうしようか迷っている。

今、仕事が順調だからだ。率直に収入が激減してしまう可能性がある。

だから非常勤を考えていて、2次どうするか未定になっている。

情報の免許も取りたい。実習が終わって以来、毎日学校に戻りたい。

そこまで勉強する意欲がない。不完全燃焼事項が多い。自分の責任なのだが。

今の若者は親と仲よくなっている

クローズアップ現代+【働くって、何ですか~変わる入社式と若者たち】4月5日

https://www.youtube.com/watch?v=y7L8ys41En4

 

ソースは博報堂の人だが、17:41~で今の若者が親と仲よくなっているということを語っている。これは実感としてもそう思う。

 

資本主義には世代間の価値観のズレを演出することで、その速度を増幅させる仕組みがある。公教育と若者という構図でも同じ。

 

その資本主義の負の面に、市民が待ったを掛けているのではないかな。

円周率は3を広めた日能研、その後のインタビュー

2001年05月04日 週刊 週刊朝日

 電車の中で見たことあるかな。「シカクいアタマをマルくする」と、中学入試の問題を見せる、アレですね。99年の秋ごろ、JR山手線や営団地下鉄など15路線の全部の車両に張ったポスターは、こうでした。
 「ウッソー 円の面積を求める公式 半径×半径×32002年、小学5年生は円周率を3・14ではなく、およそ3として求積計算を行います。ホントです」
 日能研代表の高木幹夫さんに聞こう。
 「遅いんだな。今は全然そんなこと言ってないの」
 ――それで円周率が3になるという根拠は?
 「計算させるのは、小数点以下1位までとなっているでしょ。だから」
 ――円周率は別のようですが、確認されましたか?
 「確認なんて、できる立場にないですもん」
 ――今も3になると思い込んでいる人が多いようです。
 「まあ、3説が独り歩きしたようなところもあるけれど……そこまで責任はもてませんよ」
 いろんな雑誌やテレビが3になると言っていたから、高木さんだけに聞くのは、ちょっと気の毒だったかもしれないね。みんなも、人からおもしろい話を聞いたら、お友達に知らせる前に、それが本当かどうか、よくたしかめよう。
 (本誌・小林伸行

 

受ける方向性

一回り、二回り前の時期に、人間関係を作るのに自分に欠けている点で「レバレッジを掛けてじっと耐えること」というのがあった。結果を急ぎ過ぎないことや、関係性は顔を合わせた回数であるということ。ここが今回うまく行った。やや甘い部分もあったかもしれないが、自分でフィードバックしながら動けた点に成長を感じる。

 

次に向かう方向性について。まずは「受け」のストレスを減らすこと。そのためには「線引き」をすること。相手に示すこと。相手をその方向へハマらせないこと。どうも受けの基準が緩くなるポイントがある。ここを自分の調子によってコロコロ変えている面がある。締めるところを探さなければならない。

 

これまでなぜ受けてきたかと言うと、人の本音を引き出したかった、人を知って成長したかったというのがあった。年齢が増すにつれて人への興味が薄くなっている。人の本音への興味と言ったところか。この方法で見える人の本音の部分について、一定のパターンが見えてきたというのがあるのかも。また、自分の実験的な姿勢も強硬なものでなくなりつつある。

 

一方で、若さとがむしゃらさ、厳密に言うと全方位的経験は絶対にしておかなければならない。最近困ったことにここが揺らぐことがある。楽をしたい気持ちがでているというか。老いの一種だろうか。ここの姿勢は周りからも見られているし、後々の自分の力へと繋がってくるはず。

人間関係にストレスが掛かった例

①今回の実習の指導教員(女性)

②2015年初頭の仕事関係

③2014年初頭のドミトリーで相部屋だったうちの1人

④これと同時期の1人(女性)

⑤2010年部活のメンバーA

⑥2009年部活のメンバーD

⑦2008年部活のメンバーC(女性)

⑧2008年部活のメンバーE(女性)

⑨2008年部活のメンバーF

⑩2008年部活のメンバーG

⑪2007年大学のメンバーM,K

⑫古い友人の1人

⑬中高時代

 

傾向として言えるのは、
・上位意識の揺らぎが入り口、つまり受けが行き過ぎた
・相手の自我が強く、自律力が弱い傾向がある
・自我の強さは初期から、自律力の弱さは遅れて影響がでる

・①、③、⑩とは関係を修復できなかった。いずれも関係が短中期で途切れたため。
・⑦、⑧の時は私もかなり未熟で、女性に生理的に嫌われる要素が多かった


他にも色んな人間関係を考えていくと、受けが行き過ぎたことは沢山あった。やや行き過ぎて戻したということは数え切れない。

 

人間関係の作り方をどういう方向性に向けていくか

2011年、2012年あたりでコミュニティを抜け、以来人間関係が集団的から1対1にシフトしつつあった。どうもそのへんで勘が鈍っているのかもしれない。

特に変わった点は、本音を出すことに時間を掛けるようになってきたということ。しかしこれが一つに人間関係のトラブルになりやすいのかも。昔はなんでもかんでも本音で喋る性格だった。この上で作られた人格だから、どうもうまくいかない部分があるらしい。

前の記事で、

①舐められてもOK

②本音を引き出せる

③最後は自分の本気さを提示し、舐める線引を相手に自分から引かせる

 こういう性格を挙げた。③のスピード感が遅くなっているようだ。

で、ここにスピードがついていってないから、舐められた後に「上位感覚」の核を持たれてしまう。上位感覚特有の「自己を立ててほしい気持ち」が生まれ始める。私は上下感覚が嫌いなので、期待通りにコミュニケーションが進まない。私が反抗しているように映り、上位感覚特有の怒りに移行する。以後はいじめ的な思考、集団内で優位に立ちたい欲求などに代表されるパターンに突入してしまう。

 

なら、どうするか?

受けで構築する関係を、再び本音で構築する関係へと、戻す必要がある。

で、「受け」が通用するかというのは、社会的立場と相関関係がある。

自分が上ならその分「受け」てやれるし、自分が下なら「受け」は相手に不毛な上位感覚を持たせることになる。

 

歳をとると本音で生きていくのが難しくなってくるが、一度ここはまっすぐな本音で挑むべきではないか。本音系の性格で、内容が稚拙だと人とぶつかりまくる。稚拙でなくても相手が稚拙ならぶつかってしまうこともあるし、いずれにせよ人とのぶつかり合いは多少避けられない。その後に良い関係に導くフォローは歳とをれば一層必要。隙を見せすぎることは、誘い込んでいること、また煽っていることという解釈もなりたつ。

教育実習終了3 受けて人間関係を作っていくこと

改善点2つ目。


②受けて人間関係を作っていく自分の性格


 責任転嫁を受け入れすぎたというのがあった。顔を立てようとしていたし、立場的な事情もあった。しかし、ある程度撥ねなければならなかった。2,3日目で指導教員が私の前での緊張感を失い始め、その後は私の前で態度がかなりダレるようになっていた。授業中はずっと壁にもたれていたし、机に座ると身体を曲げて肘を突いていたり、こういった具体的なことを沢山スルーした。

 

 そのスルーの姿勢は相手に伝わる。相手もそこに無意識につけこんでしまう。


 私は、緊張感の喪失を許容する雰囲気を作りながら人間関係を作る傾向がある。また教育の方法にもそういう傾向がある。可塑性を作って弾力的な関係を作る。しかしこれが問題なのは、自律力のない人格面を、楽な方へ浸り込ませてしまうことなのだ。ただこれは、本音を引き出すということと表裏一体であり、トレードオフになっている。相手の態度で相対的に関係を作る人は多い。過度な依存や期待が生まれ、弾力が行き過ぎてしまう。そしてその依存に対して、私が後から線引して否定するように見えてしまい、その反動で関係が揺らぐことがある。

 

 許容し、本音を引き出すことについて、私は最終的にこのバランスを「人生に対する本気さ」を見せることによって調停を取ってきた。要は、

 

①舐められてもOK

②本音を引き出せる

③最後は自分の本気さを提示し、舐める線引を相手に自分から引かせる

 

ということで人間関係を作ってきた。この方法は精神的な負荷があるが、相手の本音が見える。

 ただ上述のように、相手に自律力が無いと緊張感を失い不安定な関係になりやすい。特に短中期的な関係が一番苦手だ。緊張感が解けてきて、奢りが出現する。主導権を実験的に広げようとしはじめる時期か。ここで何か1個論理を挟まなければならない。

 上下関係があり、私が上なら論理を挟むことが比較的楽。これから教員としてやっていくなら、これを見つけださないといけない。自由を得るなら自律が必要。ただし自律はすぐには身につかない。だからその橋渡しとなる何らかの論理が必要なのだが。

 今考えているのは、生徒に対して、自律に向けて必要なフレームワークのようなものを構築して提示すること。未熟さを関係構築の口実にしたり、駆け引きの道具にするのではなく、実務的なタスクとして低コストで成長に集中させる。目上や同じ立場に対しては、自律力を初期で判断し、自律力が低い場合には隙を作らないことか。