セックス・若者たちの本音 ~世界のミレニアル世代調査~ - NHK クローズアップ現代+


セックスを語れる環境は徐々に整いつつある。

社会は変わりつつあるな。

 

薬局に並んでるコンドームってのは高い。

あれはダメだ。

学生だとああいうコストも気になってしまう。

コンドームは無駄になって捨てる場面とか意外と多い。

金がセックスの障壁になるような社会状況は改善すべき。

 

あとラブホの改革かな。

もっとカジュアルに街中にあって、

ベッドや備品は汚さない道徳が普及して、

その代わり500円ぐらいで利用できる、

そんな街が実現すればとか昔よく思った。

閉鎖的な業界で価格も不透明、こういうのはよくない。

 

クロ現もそうだが、性教育は具体的な描写に踏み出さない。

一番問題だと思うのは、

濡れることを学べないことだ。

 

男は女を濡らさんとイカンのだ。

それがセックスの基本だ。

しかし性教育と商業ポルノ、

どちらもこの点がごっそり抜け落ちている。

 

性器を映すことを適法とすべき。

無修正のエロ動画でしか性器の反応は映像で学べない。

国内では無修正だと違法だ。

でも、皆ネットで無修正動画を見て学ぶ。

なかなかバカげた状況だ。

遠い将来、おかしな時代があったと語り継がれるだろう。

 

8/15 追記

濡らすことに加え、ソフトタッチが教育的に重要かなと思い始めた。

このへん、プリセットされていないのである。

プリセットされていないなら教育なのだ。

なぜ進化の過程でプリセットされなかったか?

男と女の壁を超える後天的苦心が、

繁栄の生存戦略だと折り込まれたに一票。

円周率問題の追記

元は円周率は3の記事に書いてた個人意見だが、

どうもあの記事はアクセス数が多いようだ。

駄文感が強いのでこっちに分けとく。

 

以下本文。

 

学校教育と市民をケンカさせる、という金儲けの古典的手法がある。

お題はこうした円周率でもなんでもいいので

まず学校教育の批判を展開する。

 

これをやると、真偽を問わず市民に学校教育不信が残り、

市民は金の方向性をビジネス側に寄せる。

結果、ビジネス側が安全な位置から利ざやを得られるカラクリだ。

 

そもそも公教育のみに使用される市民の金は固定的であるので、

こうして新たなキャッシュフローが創出されることは

資本主義的には是とされる。

その筋によってこうした話はうまく解体されない。

 

ビジネス側が市民に提供した内容は、大したソリューションでもないので

短期で消耗される。

問題なのは、学校教育不信だけはポツンと長期間残されることだ。

「円周率は3」で学校批判なんかをやっている人も未だ見かけるだろう。

一見、公教育一人負けのWIN-WIN-LOSEの構図になっているが、

結局回り回って市民も代償を負うことになる。

最終的に利ざやを得るのは、ビジネスを仕掛けた側だ。 

 

これは社会に歪みを生じさせ、

その歪みから利ざやを抜くビジネスの手法である。

市民と公教育が積み上げた公共の信用を、

金に変換して吸い取る手法だ。

私はこれを社会が許容すべきでないと考える。

学校教育への批判はこのような方法ではなく、

もっと正当に行われるべきである。

 

ただし社会が許容すべきでないと言っても、

違法性を問われて来ず、

経済活動として認容されてきたのが現実だ。

市民にはビジネスと公教育の両方を監視する義務がある。

市民はビジネスが仕掛けた若者批判や学校批判といったガス抜きに

安易に相乗りすべきでない。

カルト宗教に入らせないための教育

①親の魅力

②社会から愛されること

 

これがカルト入信を防ぐ教育(環境)となると思う。

 

私は若い頃、親との関係に失敗した。

学校でもたくさん失敗し、社会への離反意識を長く持っていた。

 

20代中盤までにこれらは自己総括できた。

反社の勢力下に身を置くことはない。

 

しかし若い頃に、強い人間関係に巻き込まれていたなら

オウムにも入信していた可能性がある。

 

教育のテクニカルな面で言えば、

身体の特殊な反応には注意すべきだ。

 

光を見るとか、体が跳ねるとか、

食生活が全く変わるとか。

こういう身体反応は普通に色々起こるものだ。

 

こうした突然のリアリティに、

斜め上の意味付けを重ねていくのが危ない。

 

特殊な身体反応について、教育機会があればいいのだが。

手法的には、ヨガや自己啓発セミナーがやってたものだろうか。

痴漢、アル中、虐待、危険地域の居住など、「抗しがたさ」問題について

ツイッターのフェミを見ていて思ったこと。

 

痴漢問題というのがある。

あれをやる心象はよく解らないのだが、想像はできる。

 

痴漢の欲求ってのは、多分、個人差が大きい。

彼らは現場で、抗しがたい衝動的な性欲を感じているっぽい。

 

この「抗しがたさ」、問題の本質は、これの程度だ。

 

パンピーフェミの議論ってのは、ここが考慮されず、

男の責任、女性の服装の自由を主張する。

 

人は熱湯に触れれば反射的に体が動く。

多分、痴漢ってのはこういう問題だ。

だが社会的認知は当人のわがまま、とかの議論になっている。 

 

社会が高度化する為にはこの反射性、

どれほど抗しがたいのかを、数値化、見える化するべきだろう。

 

これはアルコール依存症や虐待にも言える。

一部では遺伝的な不安要素が介在している。

自由意志だけの視点で語るべき問題ではない。

 

あと公にはタブーっぽいが、

どうも痴漢と知的障害には一定の相関がありそう。

これもきちんと社会が総括しなければならない。

 

もう一歩タブーを踏み込んで言うと、

津波地震など、災害で大きな被害に合う場所に

抗しがたく住む人たちがいる。

これはこの筋の話に関係している。

 

憲法で居住移転の自由は保障されている。

だが毎回復興に税金が投じられるなら、

公共の福祉を鑑みるべきである。

 

いずれの問題にも、抗しがたさを社会的に測ること、

その計測法の開発が重要だ。

「教育ではない領域」の線引とも言える。

災害と教育について

今回の水害で死者・行方不明者が250名を越えそう。

 

重要なのはハザードマップに関する教育。

もっと重要なのがハザードマップの統一。

 

自治体間でバラバラ。バラバラな理由は、利権と怠慢。

 

規格を合わせると、一般人がスマホで日常的に目にするものになる。

教育ってのはこういう利便性の問題だったりする。

 

実現できるのにやってない、これは人災に近い。

 

しかし現状、自治体間で規格を統一せず、

それで利便性が下がっても

社会の責任にはならないというアホなルールがある。

 

地方自治は最悪の利権構造。

教育行政にも似た話がゴロゴロある。

 

住んでいる場所を非難してはならない、という

クソみたいな社会のルールがあるが、

このクソルールに警鐘を鳴らせるのは、

技術の力による情報インフラ整備しかない。

youtubeに上がっていた動画

https://www.youtube.com/watch?v=qxIdcb45Hnk

ニュースゼロの2009~2010年の特集。

根底にあるのは、常にリソース不足の問題。

起こっているトラブルは、

リソース不足からの副次的なものがほとんど。

 

2010年というと時代を感じる。

間違いなく震災が大きな節目になっている。

東京医科大学の贈収賄事件について

佐野前局長は2017年5月、臼井理事長から同大を「私立大学研究ブランディング事業」の対象校に選ぶよう依頼され、見返りと知りながら今年2月にあった一般入試で子の点数の加算を受け、合格させてもらった受託収賄の疑いで逮捕された。

 

今回のように、贈収賄は公務員が絡まないと犯罪が成立しない。

一方、私立大と私人の裏口入学は、

金銭等のやりとりがあっても法律上問題ないはず。

 

AOや推薦が実質的裏口になっているケースもあるだろうが、

学校には税金が投入されているわけで、

この手の加点行為は法律で禁止すべきだと思う。

 

80年代以前、入学不正ラッシュ時に

類似の事件があったかどうか調べてみたい。