円周率問題の追記
元は円周率は3の記事に書いてた個人意見だが、
どうもあの記事はアクセス数が多いようだ。
駄文感が強いのでこっちに分けとく。
以下本文。
学校教育と市民をケンカさせる、という金儲けの古典的手法がある。
お題はこうした円周率でもなんでもいいので
まず学校教育の批判を展開する。
これをやると、真偽を問わず市民に学校教育不信が残り、
市民は金の方向性をビジネス側に寄せる。
結果、ビジネス側が安全な位置から利ざやを得られるカラクリだ。
そもそも公教育のみに使用される市民の金は固定的であるので、
こうして新たなキャッシュフローが創出されることは
資本主義的には是とされる。
その筋によってこうした話はうまく解体されない。
ビジネス側が市民に提供した内容は、大したソリューションでもないので
短期で消耗される。
問題なのは、学校教育不信だけはポツンと長期間残されることだ。
「円周率は3」で学校批判なんかをやっている人も未だ見かけるだろう。
一見、公教育一人負けのWIN-WIN-LOSEの構図になっているが、
結局回り回って市民も代償を負うことになる。
最終的に利ざやを得るのは、ビジネスを仕掛けた側だ。
これは社会に歪みを生じさせ、
その歪みから利ざやを抜くビジネスの手法である。
市民と公教育が積み上げた公共の信用を、
金に変換して吸い取る手法だ。
私はこれを社会が許容すべきでないと考える。
学校教育への批判はこのような方法ではなく、
もっと正当に行われるべきである。
ただし社会が許容すべきでないと言っても、
違法性を問われて来ず、
経済活動として認容されてきたのが現実だ。
市民にはビジネスと公教育の両方を監視する義務がある。
市民はビジネスが仕掛けた若者批判や学校批判といったガス抜きに
安易に相乗りすべきでない。