プールの排水口事故

毎日新聞で検索して出てくる1999年までのもの。事案の重複有り。

1969.07.30
水死者続出:プール排水口に吸込まる-堺市では事故調査の所長が吸込まれて重体
1969.07.30
災害・事故 奇禍 水死者続出:プール排水口に吸込まる-倉敷で中学生水死
1973.07.02
災害・事故 奇禍:プール排水口に吸い込まれ水中10分-大阪、少年死ぬ
1973.08.10
水の事故:プールの排水口に足を吸い込まれて水死
1976.08.12
水の事故:岐阜県で中学生プール排水口に吸込まれ死ぬ
1978.08.04
水の事故:三重の学校プールで少年排水口に-必死の救出空しく水死
1985.08.10
災害・事故:プール排水口に足吸い込まれ小3坊や水死
1985.08.26
災害・事故:プール排水口に足引き込まれ重体
1986.07.21
災害・事故:プールの排水口に吸われ中2が水死
1994.08.18
排水口などを現場検証--浅間中プール事故で、佐久署 /長野
1994.09.01
猛暑の今夏、水死者12人 昨年の倍に /長野
1995.01.25
[解説]学校プール、排水口の安全不備が3割も--佐久市立浅間中の水死 /長野
1995.08.05
プールの排水口に吸い込まれ、小5男子が重体--西伊豆の仁科小学校 /静岡
1995.08.22
学校プールで事故、重体の小学5年生が死ぬ--西伊豆町 /静岡
1996.02.17
町長ら減俸処分の条例案を提出へ--西伊豆町のプール・児童死亡事故 /静岡
1996.03.24
両親が町と県を提訴、9100万円の賠償を求める--仁科小プール水死事故 /静岡
1996.05.23
西伊豆町と県、争う姿勢--小5水死損賠訴訟、地裁沼津支部の初口頭弁論 /静岡
1996.05.25
危険!学校プール 3分の1が排水口にフタ載せただけ--文部省調査
1996.05.25
3分の1が安全不徹底 排水口事故で2年間に4人死亡--文部省が小中高プール調査
1996.07.07
県内全学校の排水口に、ふたを固定--丸森のプール事故を教訓に、県教委 /宮城
1997.04.16
2757校のプールに危険な排水口--文部省調査
1997.04.17
学校プールの排水口、5%がフタ未固定--県、水泳授業開始前に改善 /栃木
1997.04.22
プール排水口に不備 小中高校の2割に上る--県教委調べ /新潟
1998.02.20
小学校のプール水死事件 町に賠償命じる--鹿児島・金峰町
1998.09.19
プールで死亡、林田靖司君判決前に支援集会--きょう沼津で /静岡
1998.10.03
プール事故死賠償訴訟で両親、県に対しては控訴しない意向 /静岡
1998.11.07
西伊豆の学校プールで排水口事故死 林田和行さん「子供を守る会」設立へ /静岡
1999.07.29
藤島町・長沼小プールで、小6少女が重体--排水口に足を吸い込まれ /山形
1999.07.30
排水口金網、半分外れ 学校の安全点検不十分--長沼小プール事故現場検証 /山形
1999.08.04
プールで事故の小6女児が死亡 /山形
1999.08.05
長沼小プール事故死で、学校単位の水泳会中止 再点検を指示--藤島町教委 /山形
1999.08.07
プール安全対策は?--県教委、市町村に聞き取り調査 /山形
1999.08.19
排水口に足はまり高校生が意識不明--葛生町のプール /栃木

 

以後、2000年から吸い込み事故の記事数は急激に増える。

 

2006年ふじみ野市で、同様事故が起こる。

その直後に比較にならないほど記事数が増え、

行政からも徹底指導が入る。

 

2006年以後、確認できた吸い込み事故記事は1件である。

 

色々思う所がある。

 

報道の変遷を見るに、

これは社会が本気を出すか出さないか、

そういう問題なのだろうなと。

社会が本気を出せば十分防げる事故だった。

 

2000年以前というのは、

初見で重大事故に至るケースが生活の様々な場面にあった。

天窓の踏み抜きとか。

 

社会が本気を出せたきっかけは

携帯電話とネットの普及による情報共有力の向上かなと思う。

2010年代からはSNSが発展し、

これも非常に強力な情報共有の軸になっている。

 

教育関係者というのは、

ネットのこの力をきちんと評価できていない。

年寄りが多いのが原因。

 

次に、私は技術者の端くれだが、

同じ技術者として思うのは

これは技術者が予想できた事故だということ。

現場の技術者は肌感覚で解っていたはず。

 

昭和というのは作りっぱなしの時代だった。

法的に生産側の責任が小さかった。

 

技術的失敗と社会認知の構図として、

2004年に公になったFF式石油暖房機の事故や

2006年にこれも世に出たパロマの湯沸器事故と似ている。

昭和の製造物というのは

安全面に関して、また事後処理に関して無茶苦茶なのだ。 

 

私は1983年生まれで、あの時代のプールでよく遊んだ。

排水口は人気でよく人が集まっていたし、

手を吸い込ませて遊んでいた記憶があるのだが、

記憶違いではないはず。

吸い込んでくれる排水口を探したりしていた。

 

小学校のプールの端には排水"溝"もあったが、

一度フタが無かったみたいなヤバイ経験があり、

それ以来怖くなって近づけなくなった。

そんな記憶がある。

 

学校のプールなんてもう入る機会もないが、

今の子供はこのへん実際的にどう体験しているのだろうか。

 

ふと思い出したが、自由時間に

発泡スチロールの船が投げ入れられて

子どもたちがよく群がっていた。

 

しかし、不意にあの下に入ってしまうと

脱出困難で本当に窒息しそうになる。

相当なヤバさを感じた。

 

友達も皆同じことを言っていた。

 

ああいうのは今どういう扱いになっているんだろうか。

仮想通貨とICO詐欺と教育

今年は毎日欠かさずビットコインデイトレ

 

仮想通貨関連のツイッターアカウントを持ってると

ICOやクローズドコミュの勧誘が多数来る。

100%詐欺。

 

で、彼らの常套句は、儲かる〇〇「教えます」なのだ。

つまり教育、指導をしますということだ。

 

この詐欺師が使う「教えます」という言葉に

以前から違和感があったが、そこに教育のヒントがある気がしていた。

 

投資詐欺のターゲット層は情弱だが、

彼らは多分、教授行為が無償の関係で成立すると

本能的に理解、期待している。

だから「今すぐこの方法で100万手にして下さい!」みたいな詐欺宣伝が

伝統的に普及している。

 

現実はそんなはずはない。対価が必要。

情弱層といえども思考の上ではなんとなく解っている。

 

矛盾するようだが、人というのは指導を受ける際、

上記2つの思考を同時に持っている。

無償指導の期待。

対価の必要性。 

 

無償指導の期待、というのはなんなのだろう。

多分原始的に教育は無償が基本で、

報酬は集団拡大の方向に期待されたのではないか。

そのなごりか。 

 

そう考えると、コミュニティ化、ショボい仕手化したがる

ICO詐欺界隈は、人間の原始的な教授思考にフィットした

ビジネスモデルを描いていることになる。

投資詐欺全般にこういう傾向があるな。

 

DMM英会話をやっていた時、

やたら先生を評価したがるユーザーが散見された。

ユーザーが書く先生のレビューみたいなのがあって、

あれは斬新だった。

 

マウンティング欲求と抑圧に耐えられない

師弟関係で発生するストレスの顕出かなとか思ったが。

 

進化論で語れば、師弟関係という教育形態は比較的歴史が浅く、

コミュニティ化を目指すような無償教育のほうが

脳の認知的にはプリミティブなのかもしれない。

先生をガンガンチェンジしていけるDMM英会話は、

その点面白い教育形態だ。

 

話がまとまらなくなったところで終了。

素人が「いじる」のは難しい

いじりはいじめの前段階とも言われるが、まあそうだろう。

これを扱うのは素人には難しい。

 

以下まとまりのない駄文。

 

テレビ等の世界では、いじられる側は画の露出が増えるので得をする。

当事者同士でwin-winとなることが業界でルールとして決まっているのだ。

いじりで得られる報酬がきちんと定められている。 

 

素人環境には金銭的報酬は当然無いし、

心的報酬については、複数の人間の嫉妬や欲求が入り交じった

複雑な関係の中のやりとりになる。

いじりによって当人が本当にバカに見えてくる現象や、

スタンフォード監獄実験

人が抱えるマウンティング欲求などを

ヘッジする機構が用意されていないとか、色々問題がある。

 

素人環境では、総じていじられる側が損をする。

信用の土台がないとwin-winとするのは難しい。

素人、特に子供は信用という変数をビジネス的に算出できないので、

いじることで快感を得ようとするループにハマる者が出たり、

環境に洗脳される者が出て話がこじれていく。

 

いじるってのはツッコミの類型なのだろうが、

ツッコミというのはとにかく素人が真似したがる。

とんでもなく質の悪い、マウンティング欲求だけで

ドライブされているようなツッコミをいくつ見たか解らない。

まあ素人でも一応形式だけは成立する。

一方でボケは素人には難しい。

素人の低品質極まりないツッコミが飛んでくることが解っている。

素人でボケる人、というのは、

そのあたりのリスクヘッジ手法を用意した上でボケているように思う。

 

全然うまく言えてないしデータも無いが、

素人のいじりは良くないという認識を多く見かけるようになってきた。

周囲の空気で決定される部分は大きいので、歓迎されるべきだろう。

ただ現在の子供がこのあたりの空気感を

実際どう扱っているのか解らない。

自分の年齢も変わってくるし、

こうした世代の微妙な空気差みたいな要素を含めて語ろうとすると、

説得力の薄い語りになってしまう。

そういう大人が入っていけない隙間でいじめが起こるのだが。

昔の熱中症

以前にも書いた。

熱中症の記事 1992年08月02日(朝日) - 教育と思索

続き。

 

1987.07.25 毎日新聞 東京朝刊 
西武球場のTVクイズ番組録画中に猛暑で高校生500人が日射病

 

熱中症が根性理論で扱われていた時代。

日射病、熱射病など呼称がバラついていた。

それにしても500人というのはすごい。

昔のイベントというのは無茶苦茶なものが多かった。

 

1933.07.03 毎日新聞 東京朝刊
富士山で演習兵約100人余が日射病で死傷、発狂

戦前の熱中症。すごい見出し。

軍事演習中、日射病に掛かり「日射病特異性の発狂」を起こし、

銃剣を振り回したり自殺を図ったりして7名が死亡した。

 

そういう発狂するような症状が医学的に認められているのかは解らない。

軍隊は学校のルーツでもあるので、

こうした非合理な組織対応が学校に受け継がれた部分はあるのかもしれない。

部活問題、超勤問題の1判例

 

2007年09月28日 朝日新聞 朝刊

超過勤務訴訟、北教組側の請求棄却 「合理性ないといえぬ」 札幌高裁 /北海道


 恒常的に超過勤務していながら、時間外や休日の勤務への手当が支給されないのは不当として、北海道教職員組合(北教組)の組合員1155人が道と94市町村を相手取り、計2億2623万円の支払いを求めた訴訟の判決が27日、札幌高裁であった。伊藤紘基裁判長は長時間の時間外労働の実態は認めたが、「教職調整額に加え、時間外手当を払うほど合理性が失われているとはいえない」として一審判決を支持、請求を棄却した。原告側は上告する方針。

北教組が超勤問題の裁判を16年前からやっていたようだ。

1審が2002年なので、結構古い。

2007年に控訴棄却。

労働契約と法律ベースで解決せよという趣旨。

大川小学校の事件とデマ

大川小学校の件はデマが流れまくっている。

例えば、地震後に教師が権力闘争を始めた等。

 

このサイトがデマの発信源だろう。

妄想で書かれた文章である。

明らかに誤った写真のみ、後に差し替えていることから

一定の悪意があると思う。

ある程度バズってしまっていて、デマが拡散している。

 

デマを流す理由は色々あるだろうが、

要は金になるのだろう。

構造は円周率問題と同じで、デマによる信用破壊ビジネスだ。

ということは、デマに悪ノリしている人間が必ずいる。

 

ここでまとめられて叩かれていて、

悪ノリ市民がコメント欄にも出張している。

悪ノリする理由は、権力と戦う物語の希求だろうか。

このあたり。

これも。

 

大川小学校の話題が荒れた一因として、

ダイヤモンドオンラインの特集があるように思う。

池上正樹と加藤順子というジャーナリストによる記事。

一貫して対立を煽るような語り口の特集である。

生き残りの教師を執拗に責めるなど、やりすぎ感がある。

上記デマブログは、この特集を親記事とした節がある。

  

神戸高塚高校校門圧死事件について思うこと

神戸高塚高校校門圧死事件 - Wikipedia

 

遅刻ギリギリで駆け込んだ生徒の頭部を、

スライド式の校門で誤って挟んだという最悪の事件。

 

学校側の責任を認め県は賠償金を支払っている。

 

また門扉を締めた教員は懲戒免職、

業務上過失致死で刑事処分を受けている。

 

世間的には管理教育がどうとか、そういう論点が出現した。

 

事故が起きた以上社会的責任は免れないが、

個人的に、本質は別のところにあると考えている。

 

 

1.人は動体のエネルギーを過小評価する

人は動体のエネルギーを錯覚するのだ。

特に重量物が動く時のエネルギー量を過小計算する傾向がある。

 

また自重に関しても錯覚が起きやすい。

自重の移動で発生するエネルギー量は非常に大きい。

椅子引き事故なんかまさにこの類。

 

そういう意味で、可動な重量物の設計、配置、運用保守について、

社会は細心の注意を払う必要がある。

 

2.人は画的に映えることを優先し思考停止する

画として映えることに人は思考停止する傾向がある。

これに1の重量物の移動エネルギー理論が加わると

思わぬ事故に繋がりやすい。

 

遊園地とか、体操やダンス、水泳の飛び込みとか色々ある。

映えることに思考停止し、

社会的対応が後手に回っている傾向があるように思う。

 

映えるものに対し、人は細かいことを不問に付す。

現場にいる大人はリスクを冷静に分析しなければならない。

 

オードリー春日(芸人)が調子に乗って椅子を壊した映像があるが、

これは事後対応の雰囲気を含めて、典型だろうな。

 

必要なのは、場の空気を切り裂いて冷徹に対応する大人の勇気だろう。

 

3.人は頭を頑丈だと錯覚する

この事故は頭から門扉へ突っ込んだことで事故が起こっている。

 

頭から突っ込むという行動は非合理な危険行為だが、

人はこの行動をやってしまう。

 

プリセットされている本能、原始的な脳の認知というのは、

身体性に対する意識についてかなり不完全であるようだ。

 

頭部への衝撃が危険であることは、

周りの大人がインプットさせる必要がある。

人の体で比較的丈夫な箇所は、背中ぐらいではないか。

 

このテーマは以前記事にした。

頭部外傷は教育が必要 - 教育と思索

 

似た話に、尻を丈夫だと錯覚することも書いた。

尻の事故と教育について - 教育と思索