毎日新聞の炎上商法、教育悪ノリ報道

鳥栖:中1いじめ、謝罪の市 提訴で態度一変「知らない」 - 毎日新聞

 

かぎかっこ付きで「知らない」とはどんな教育行政だと思い、

記事を参照した。

自治体側にこのような発言は無いようで、

提訴で否認姿勢を打ち出した自治体の態度を示しているらしい。

 

毎日新聞というのは、こういう信用毀損を利用した炎上商法をちょくちょくやる。

捏造まがいのタイトルを持ってきて世論を誘導したいのか。

陰謀論に飢えた大衆のニーズをほんとよく解ってる。 

 

まず真っ先に必要なのは、

①事実関係の洗い出し

②被害届の必要性の強調

この2点。法ベースの処置が最重要である。

 

この記事のような報道をやっていると、いつまで経っても

いじめが解決しないし、いじめが炎上商法の経済循環に組み込まれてしまう。

 

で、法ベースの事実関係。

まず最重要なこと、刑事で立件されたかどうか。

探してもでない。

報道を調べたが、この一番重要な事実関係が報道されていない。

警察による聞き取りまでは報道されているものの、

続報が無いのである。

 

一体どうなってるんだ報道機関は。

刑事事件としての立件は見送られたのか?

これをやるからいじめが解決しないのだ。

 

恐喝があったとされるのが2012年から。

報道は2013年頃からで、「70万円の恐喝」を軸として

複数記事が確認される。

市側と加害者側に一定の事実関係を認める姿勢。

刑事裁判の報道は見当たらない。

おそらく刑事としての立件はされていない。

 

民事の提訴は2015年。

ここで市側と加害者側は請求棄却を求めており、

交渉が決裂した様子が伺える。

「刑事事件としての立件」の次に重要なのが、

ここの経緯と変遷だ。

 

で、またこの転向理由もきちんと報道されていない。

バカなのかこの国の報道機関は。

 

代わりに何を報道しているかというと、

この毎日の記事のように被害の具体的なシーンや、

その後の生活の苦境といった内容。

 

もちろんそうした供述は重く受け止められるべきだが、

ボトムの事実関係があやふやなままでは、

こうした報道は、非常に意味が薄い。

法ベースにおいては、事実に基づくかが不明な一方的な訴えなのだから。

 

タチが悪いのは、法ベースでの意義は薄いのに、

報道機関はノーリスクで炎上商法を展開できることだ。

こんなバカな報道を許していいはずがない。

 

毎日に限らず、報道機関というのは教育をなめている。

教育ジャンルになると、報道はあいまいになり

勝手な道徳論が展開される。

 

どっかで理論化したいが、学校に関わるものすべて、

「学生のノリ」化する傾向がある。

プログラミングの成長について

今年はずっと仮想通貨のシステムやbotを組んでいる。

 

趣味プログラミングは小学生時代から20年以上続いていて、

毎年成長している。

 

この成長は不思議で、1年前書けなかったコードが、

書けるようになってくる。

特に小学生の頃、日々書けるようになっていく自分を実感していた。

あの感覚は教育観の原点だ。

 

どうも成長の本質が2系ある。

 

①まずは物理的にコード。

機能や書き方を知っていないとコードは書けない。 

 

②次が不思議で、アルゴリズム

よく解らないが、頭の中に構築されているようだ。

 

①と②は連関しているのでどっちも外せない。

英語でいうと①は暗記で②は思考部分だろうか。

心理学的に、意味記憶と手続き記憶と言ってしまえばそうなのだが。

 

余談だがハッタリ系の教材や教師は②の魔法性を強調して①を軽視する。

 

ここから教育について閃いたこと。

 

教育的プラットフォームは、

教育効果の期待予測に、②の成長をうまく折り込めていない。

①は機械的計測しやすいので評価システムと統合しやすい。

②は個人差が大きく、生涯に渡って成長するので色々予測が難しい。

大きな問題は、教育プラットフォーム自体の評価のなされ方が

①を基軸としたものとなること。

 

全然新しいことを言っていないわけだが、

教育者は②の心構えをどうするか。

これ自体プランに折り込んでいくのが困難で、

生き方として長期的になんらかの方法で提示していくことかな、

とか思った。

 

普通のことしか言えてないな。

セックス・若者たちの本音 ~世界のミレニアル世代調査~ - NHK クローズアップ現代+


セックスを語れる環境は徐々に整いつつある。

社会は変わりつつあるな。

 

薬局に並んでるコンドームってのは高い。

あれはダメだ。

学生だとああいうコストも気になってしまう。

コンドームは無駄になって捨てる場面とか意外と多い。

金がセックスの障壁になるような社会状況は改善すべき。

 

あとラブホの改革かな。

もっとカジュアルに街中にあって、

ベッドや備品は汚さない道徳が普及して、

その代わり500円ぐらいで利用できる、

そんな街が実現すればとか昔よく思った。

閉鎖的な業界で価格も不透明、こういうのはよくない。

 

クロ現もそうだが、性教育は具体的な描写に踏み出さない。

一番問題だと思うのは、

濡れることを学べないことだ。

 

男は女を濡らさんとイカンのだ。

それがセックスの基本だ。

しかし性教育と商業ポルノ、

どちらもこの点がごっそり抜け落ちている。

 

性器を映すことを適法とすべき。

無修正のエロ動画でしか性器の反応は映像で学べない。

国内では無修正だと違法だ。

でも、皆ネットで無修正動画を見て学ぶ。

なかなかバカげた状況だ。

遠い将来、おかしな時代があったと語り継がれるだろう。

 

8/15 追記

濡らすことに加え、ソフトタッチが教育的に重要かなと思い始めた。

このへん、プリセットされていないのである。

プリセットされていないなら教育なのだ。

なぜ進化の過程でプリセットされなかったか?

男と女の壁を超える後天的苦心が、

繁栄の生存戦略だと折り込まれたに一票。

円周率問題の追記

元は円周率は3の記事に書いてた個人意見だが、

どうもあの記事はアクセス数が多いようだ。

駄文感が強いのでこっちに分けとく。

 

以下本文。

 

学校教育と市民をケンカさせる、という金儲けの古典的手法がある。

お題はこうした円周率でもなんでもいいので

まず学校教育の批判を展開する。

 

これをやると、真偽を問わず市民に学校教育不信が残り、

市民は金の方向性をビジネス側に寄せる。

結果、ビジネス側が安全な位置から利ざやを得られるカラクリだ。

 

そもそも公教育のみに使用される市民の金は固定的であるので、

こうして新たなキャッシュフローが創出されることは

資本主義的には是とされる。

その筋によってこうした話はうまく解体されない。

 

ビジネス側が市民に提供した内容は、大したソリューションでもないので

短期で消耗される。

問題なのは、学校教育不信だけはポツンと長期間残されることだ。

「円周率は3」で学校批判なんかをやっている人も未だ見かけるだろう。

一見、公教育一人負けのWIN-WIN-LOSEの構図になっているが、

結局回り回って市民も代償を負うことになる。

最終的に利ざやを得るのは、ビジネスを仕掛けた側だ。 

 

これは社会に歪みを生じさせ、

その歪みから利ざやを抜くビジネスの手法である。

市民と公教育が積み上げた公共の信用を、

金に変換して吸い取る手法だ。

私はこれを社会が許容すべきでないと考える。

学校教育への批判はこのような方法ではなく、

もっと正当に行われるべきである。

 

ただし社会が許容すべきでないと言っても、

違法性を問われて来ず、

経済活動として認容されてきたのが現実だ。

市民にはビジネスと公教育の両方を監視する義務がある。

市民はビジネスが仕掛けた若者批判や学校批判といったガス抜きに

安易に相乗りすべきでない。

カルト宗教に入らせないための教育

①親の魅力

②社会から愛されること

 

これがカルト入信を防ぐ教育(環境)となると思う。

 

私は若い頃、親との関係に失敗した。

学校でもたくさん失敗し、社会への離反意識を長く持っていた。

 

20代中盤までにこれらは自己総括できた。

反社の勢力下に身を置くことはない。

 

しかし若い頃に、強い人間関係に巻き込まれていたなら

オウムにも入信していた可能性がある。

 

教育のテクニカルな面で言えば、

身体の特殊な反応には注意すべきだ。

 

光を見るとか、体が跳ねるとか、

食生活が全く変わるとか。

こういう身体反応は普通に色々起こるものだ。

 

こうした突然のリアリティに、

斜め上の意味付けを重ねていくのが危ない。

 

特殊な身体反応について、教育機会があればいいのだが。

手法的には、ヨガや自己啓発セミナーがやってたものだろうか。

痴漢、アル中、虐待、危険地域の居住など、「抗しがたさ」問題について

ツイッターのフェミを見ていて思ったこと。

 

痴漢問題というのがある。

あれをやる心象はよく解らないのだが、想像はできる。

 

痴漢の欲求ってのは、多分、個人差が大きい。

彼らは現場で、抗しがたい衝動的な性欲を感じているっぽい。

 

この「抗しがたさ」、問題の本質は、これの程度だ。

 

パンピーフェミの議論ってのは、ここが考慮されず、

男の責任、女性の服装の自由を主張する。

 

人は熱湯に触れれば反射的に体が動く。

多分、痴漢ってのはこういう問題だ。

だが社会的認知は当人のわがまま、とかの議論になっている。 

 

社会が高度化する為にはこの反射性、

どれほど抗しがたいのかを、数値化、見える化するべきだろう。

 

これはアルコール依存症や虐待にも言える。

一部では遺伝的な不安要素が介在している。

自由意志だけの視点で語るべき問題ではない。

 

あと公にはタブーっぽいが、

どうも痴漢と知的障害には一定の相関がありそう。

これもきちんと社会が総括しなければならない。

 

もう一歩タブーを踏み込んで言うと、

津波地震など、災害で大きな被害に合う場所に

抗しがたく住む人たちがいる。

これはこの筋の話に関係している。

 

憲法で居住移転の自由は保障されている。

だが毎回復興に税金が投じられるなら、

公共の福祉を鑑みるべきである。

 

いずれの問題にも、抗しがたさを社会的に測ること、

その計測法の開発が重要だ。

「教育ではない領域」の線引とも言える。