指導の範囲とは?

学校における指導というのは曖昧な言葉である。

 

最近出た微妙な判決。

 

『犯罪だ』『名誉棄損だ』教師が叱責した翌日、生徒が自殺…「指導は不適切」 指導死訴訟・控訴審判決に遺族涙(FNNプライムオンライン) - Yahoo!ニュース

 

2013年3月、北海道立高校に通っていた、2歳年下の弟の悠太さん(当時16)が自殺したのは、所属していた吹奏楽部の顧問の不適切な指導が原因だったとして、母親(53)が北海道を相手取り損害賠償を求めた訴訟。 11月13日の控訴審判決で、札幌高裁は請求を棄却しながらも「指導は不適切だった」と認定した。

 

指導の内容が以下。 

同年3月には部員への発言をめぐり、顧問の男性教諭が悠太さんを呼び出し、「世の中では立派な犯罪だ」「名誉毀損で訴える」と叱責。 部活を続ける条件として、他の部員とのメールや会話も禁止された。

  

背景はこちらが詳しい。かなり複雑。

指導死?部活顧問に居場所奪われた高1の絶望 | 学校・受験 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

地裁では、「必要性が認められる」と判断されている。

2019年4月の判決は「指導は必要性が認められ、違法ではない」として、学校側の責任を認めず、高校の教頭が自殺の原因調査のための全校アンケートを廃棄したのは違法だとして、110万円の支払いを命じた。

 

高裁で不適切認定。

2020年11月13日、札幌高裁で開かれた控訴審判決で、長谷川恭弘裁判長は自殺前日の顧問の指導を「丁寧な事実確認がなく、メールを禁止した理由も判然としない。指導方法は適切とはいえず、かえって生徒を混乱させた」と不適切を認定。

 

一方で、責任は無し。

「組織的な対応をすれば自殺は回避できた」と指摘した。 だが、顧問の責任は「自殺の兆候が多くみられたとは言えず、予測は困難だった」とし、一審に続き認めなかった。

 

 

ポイントを整理すると、犯罪でない限りほとんど

①指導はなんでも指導

②指導の結果責任は無い

  

こう考えて良い。

 

つまり指導=会話や指示ぐらいで考えたほうがいい。

先生次第で天と地の差ほどピンキリあって

いずれにせよ先生に責任は無い。

 

指導という言葉に変に期待する必要もないし、

威厳や重みを感じることもない。

 

教委の判断は、当然ながら上記判例より強硬だ。

責任が無い行為に期待するとエライ目に合う。

 

基本は自己責任で貫けってこと。

先生の言うことは、利用できるところは利用しとけ、

関係はそれなりに良好を保っとけ、

相手がキチガイなら距離開けろ、って感じか。

 

ここから行政的な内容。  

 

教員免許の取得に生徒指導の単位が必修だが、

全然意味無かった。

アドリブでクリアできるイージー科目。

 

生徒指導提要という生徒指導の教科書が一応ある。

文科省の本なので本屋で300円ぐらい。安い。

ネットでも読める。生徒指導提要:文部科学省

 

ただこれすげー解りにくい。

上述したような、本来アドリブである指導&役人文章という

ミスマッチで読むと頭痛くなってくる。

 

これが一丁目一番地だが、解るようで解らん。

生徒指導とは、一人一人の児童生徒の人格を尊重し、個性の伸長を図りながら、社会的資質や行動力を高めることを目指して行われる教育活動のことです。

 

まあ、指導という現場の物事を

教育界の偉いさん達が頑張って文で定義するとこうなる。

 

私はこのやり方が時代遅れだと思っている。

生徒指導提要みたいなタイプの文章を読み解ける人間は

おそらく全体の2割もいないので。

 

様々な角度からの定義と説明が必要だと思う。

役人文章でなくても、ケーススタディ的で、

映像的なものもアリなのではないか。

もっとコンパクトな手引きを作ってもいい。 

 

生徒指導提要は2010年あたりのものだが、なんか既に古い。

 

それ以前の定義的な存在は、

生徒指導の手引(1981年、初版は1965年)になるらしい。

 

これだけ改訂されていないのだから、

指導については役人文章では難しいと

暗に認めていると考えて良いだろう。

 

つまり、現場の裁量に委ねる割合が大きい、ということ。

よってハズレくじを引くとガバガバなケースに当たったりする。

注意されたし。

 

指導に期待すんな。

範囲なんてねーよ。

基本は自己責任でやれ。

利用できそうな指導は利用しろ。

先生との仲は常識的なラインを保っとけ。

先生がキチガイならおもくそ距離置け。

以上、こんなとこか。

 

※余談

特に昔の文部省が出した文書というのは

後年になると位置付けが謎なものが多い。

 

図書館でこういう文書を掘り出すのは面白かった。

学生のときになんかそんなことやってた。

役人が四苦八苦して謎文書に落とし込んだようなのが

たくさんあった。

 

役人が「青少年の正しい男女交際」を定義し解説してるような、

そんな本とかあって苦笑したな。

 

しかし、やはり行政庁の見解だから

学術、行政、政策、歴史などのバックグラウンドがある。

 

"純潔教育" "文部省"とかでググると面白い。

 

人生の時間が無限だったら

ああいうの1つずつ紐解いてみたいと思ったりする。

ノート「この割れ切った世界の片隅で」を読んで

Newspicsで動画を見てたら話題になってた記事。

ウィークリー落合の動画では

山邊鈴(高校生、記事の作者)の出演時間が短く、

噛み合わない話で終わってた。

 

noteの概要は落合が動画内で言ったように

地方脱出の(途中)話である。

 

この子は現役高校生、よってまだ未脱出だが

頭のいい子でこれから社会で活躍していくだろう。

 

彼女は、

早期に学校制度に適応し

中高一貫校に合格、

公営住宅組を脱出し 

スカラシップフレームに乗り

エリート街道を進んでいる。

 

山邊鈴はまぎれもなく教育格差社会の勝者である。

 

そして公営住宅組の出自でエリートコースに乗れることは、

教育格差が解決している方向としても理解可能。

 

動画は教育格差問題の文脈で進行するから

全く噛み合わない。

 

山邊鈴はnoteで自身の格差を様々な切り口で書いている。

面白いことに、山邊鈴自身の立ち位置は流動的だ。

 

noteの読者は、教育格差を努力で打倒する物語を

期待して読んでいる人が多そう。

そういう単純な話でもない。

 

ここで思い切った私見。 

 

山邊鈴はnoteで教育格差を書きたかったのではなく、

アンダーアチーバーの苦しみを書きたかったのではないか。

 

環境にいる人と地頭の偏差値が20以上違う、

地頭が圧倒的に違う子供がどう生きていくか、

みたいな問題。

オーバーアチーバーと遭遇する葛藤など。 

 

これは出自、地域、人間関係を

具体的に語る必要があるセンシティブな話。

  

特に現役高校生で、

より同調が要請される女の子が

公に書いているという点では極めて特殊である。

 

アンダーアチーバーの文学というのは

一般的に20代以降に取り組むものだろう。

 

面白いのは、上述したように

このnoteは教育格差で言えば

どっち側の話としても捉えることが出来るという点だ。

 

教育問題というのは個人視点だと

どこの切り口から見ても断絶しているように見える。

   

断絶や、複数の入り口切り口によって

見え方が様々にあることや、

現役高校生でしかも女の子が執筆したことでバズったのではないか。

 

高校生の女の子が書いたことにより、

ヘイトを生みがちなアンダーアチーバー物語の毒が

中和されているというのもある。

 

あまり個人的に予見を書くとキチガイみたいだが、

彼女はこの先おそらく、

連帯の難しさ、分断の必然性という

現実を経験して大人になっていく。

 

そこから見える割れた世界は違う色を帯びているだろう。 

 

そうして獲得した人格を武器に、

教育者として社会で活躍することを期待する。

法律上、共産党員は教員になれない?

個人ブログソースだが、長年の疑問が解決した。

 

地方公務員法第16条5

学校教育法第9条4

教育職員免許法第5条7は、

下記のように欠格条項を定めている。

 

日本国憲法施行の日以後において、日本国憲法又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを主張する政党その他の団体を結成し、又はこれに加入した者

 

これを見る限り、

共産党は該当してそうだ。

 

共産党に加入していると

公務員になれず、

免許すら取れないように読める。

 

共産党は1955年まで

暴力による国家転覆を主張していた。

 

国家機関は、共産党が未だ暴力革命を

支持していると警戒している。

 

公安調査庁

共産党が破防法に基づく調査対象団体であるとする当庁見解

 

じゃあ実際、共産党員で公務員だと

どうなのか?という問題。

 

彼らはクビなのか?個人的に長らく謎だった。

 

そうでないことが今回解った。

ただし個人ブログソース。リンクはこちら。

 

地方公務員法第16条第5号にいう『政党その他の団体』とは、破壊活動防止法による活動の制限又は解散の指定を受けた団体』を指しているというのが総務省の見解

 

現在のところ、破壊活動防止法による活動の制限や解散の指定を受けた団体はありません

 

なんと、上記の欠格条項については

適用範囲が法解釈で狭くなっていたのだ。

 

共産党破防法の調査対象団体であるが、

「調査対象団体」の指定は、

「活動の制限」や「解散の指定」とは枠組みが異なる。

 

破防法は骨抜き法なので

「活動の制限」や「解散の指定」に至ることは無い。

 

つまり、

この欠格条項はザル法ということになる。

 

現状では、中核派でも革マル派でも

公務員になってOKなのだ。

 

ただしこれはあくまで行政の見解である。

 

司法は行政から独立しているので、

裁判所に訴えたら・・・

 

もしかしたら大量の公務員がクビになる?

さすがにそんな日は来ないか。

「菌扱い」は間違っているのか?

菌扱いについて - 教育と思索

以前のエントリ。

 

コロナで今、世界が菌(やウイルス等)を考え直している。

 

ここでは教育と菌扱いについて。

 

子供の「菌感覚」というのは、

生存戦略で必要だったのだろう。

 

「菌扱い」は、人間の歴史の中で

遺伝戦略的に獲得した行動なのだ。

 

コミュニティ維持のために

様々な異質を疎外する必要があった。

 

その中に菌やウイルスも含まれる。

 

遺伝的アルゴリズムで言えば

その方式がサバイブした。結果的に。

 

こういう認識で正しいと思う。

 

そして現代教育は「菌扱い」する子供の行動を抑制してきた。

教育理由は、差別の否定がメインだろう。

 

アフターコロナで、

子供の「菌扱い」観にどう教育をするのか。

転換点が訪れている。

 

コロナと教育は極めて重要なテーマである。

 

教育的に特異なほどに、

人が感染症対策をやるようになったことは

各データで明らか。

 

行動変容はここまで短期間に起きるのだ。

教育的な観点から、給付金が明らかに間違っている理由

・特別定額給付金

 

全員に10万円だが、

子供分は別の名称を設ける必要があった。

 

10万円は子供に渡していい金額ではない。

子供にいくら渡すか、各家庭で絶対に揉める。

そして家庭ごとに差が出てくる。

 

教育援助金などでいいから、

別の名前を付けるべきだった。

 

・持続化給付金

最大個人100万、法人200万。

 

この制度自体、前代未聞のハチャメチャ制度なのだが

この金は小出しにしなければならなかった。

 

100万単位の金は、一気に渡していいものではない。

人の成長を阻害する。

20万ぐらいの金で人はぶっ壊れる。

 

人間ってのは、

口座に100万貯まって感動する生き物だ。

そうして成長する。

 

また200万貯まっても比較的感動は薄い。

こういうところでも成長する。

 

口座に100万貯まった経験が無い人なんて

ザラにいる。

 

政治家はそういうのピンと来てないのだろう。

コロナと教育、地方自治の病

コロナ禍に至り、 

地方自治脆弱性が露呈しまくっている。

 

もはや教育行政と地方自治は病である。

 

休校長期化で教育格差が生じる懸念 学校からは「もう限界」と悲鳴も - ライブドアニュース

 

限界を演出してるのはお前らだろうと。 

 

教育行政の独立や地方自治

サル山の大将を産生しまくっていることは何度も書いた。

 

このブログで提起する教育問題の中心部分である。

 

無駄な仕事、やってる感、車輪の再発明

 

今回も本当にどうしようもない状況。

 

縦割り行政、非効率の極みである。

 

例えば、休校に伴って各自治体で

クソの役にも立たないICT教育の環境を「独自開発」。

  

本当になにをやってるのか。

 

さっさと統一的なプラットフォームを作って

・オンライン授業

・単位認定

・その他様々な教育行政サービスの提供

やれよ。

 

けどできない。

 

どうしても、どうしても

これだけはできない。 

 

これをやると全自治体で教育行政の

仕事が吹き飛ぶ。

 

教員100万人の雇用、

教育関連の公務員の雇用、

それらから派生する民間の雇用、

マジで吹き飛ぶ。

 

統一的なICT教育は

公務員の大削減が始まるパンドラの箱なのだ。

 

だからできない。

 

やらない。

 

統一的なプラットフォームを開発して

オンライン授業なんてやったら、

本当に授業力のある教員しか生き残れない。

 

しかもスタディサプリなどの

民間サービスと正面競争が始まる。

 

事務処理なんか効率化されまくるだろう。

 

魔法が全て解けてしまうのだ。

 

教育行政の既得権益保護という視点において、

これだけは是が非でも

避けなければならない。

 

その時間稼ぎに使われているのが

地方自治と縦割り行政なのである。

 

地方自治というフレームの中で

偽物のトライ・アンド・エラーを繰り返す。

 

そうして今までやって来たのだ。

そして多分これからも。

 

テクノロジー主導で

本当の本当に導入コストが下がったのが

目に見えたら彼らは嫌々始める。

 

最悪である。

 

本当に必要な地方自治の役割がある。

 

例えば今なら、

新型コロナへの地域ごとの対応、

本当にリアルタイムで困窮する親子へのサポート。

  

もう偽物の地方自治は辞めなければ。

 

ここまでの新型コロナへの

教育行政の対応は

無惨としか言いようがない。

大川小学校の事件、遺族側の勝訴確定

上告を退ける判決によって2審で確定。

 

争点は防災体制の不備。

 

以前にも書いたとおり、

学校と判決の積み上げは

職責のラインを引いていくことなのだろう。

 

我々はその過渡期に生きている。

 

1点、ぼんやりと頭にうかび

胸が苦しくなることがある。

 

訴訟に参加しなかった、

51人の犠牲者の遺族達。

 

心中察するにとても胸が苦しい。

 

身体に関する損害賠償は非課税、

つまり6000万円以上の格差が出る。

 

これが司法の現実というものなのだ。